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2007/04/24

演劇の値段。(前編)

演劇人ド真ん中のクセに、観劇の際のほとんどを招待席で観てるクセにこう言うのも甚だ気が引けるのだが、ここ最近の芝居のチケット代はお世辞にも安いとは言えない。
設定価格は、キャスティングやセット・照明・音響などの物量を含めた公演の規模によって様々だが、さすがに一万円近い、もしくはそれを超えるチケ代をたまに自腹で払う時など思わずドン引きしてしまう。

例えば一万円あれば新作DVDが二枚買える、輸入盤CDが六枚買える、映画館で映画が五本見れる、大好きなヒステリック・グラマーで可愛いTシャツが買える、美味いお寿司やしゃぶしゃぶがたらふく食える。
例えば一万円をアルバイトで稼ごうと思ったら、時給千五百円で七時間弱、時給千円で十時間、時給八百円で十三時間弱働くことになる。
もちろんこれらの例えになんの意味もない。
お金をかけたいと思う対象や金銭感覚など、当然人それぞれなわけだし。

けど、ついつい考えてしまうのだな。
一人の観客の立場だったら、
これから始まる舞台で果たして金額に見合う充実感を得られるだろうか…?
逆に作り手の立場だったら、
金額に見合うだけの魅力的な舞台を客席に届けることが出来るだろうか…?

改めて口にする機会こそ少ないが、舞台を観る者、作る者の心の片隅には、このような不安やプレッシャーが多かれ少なかれ横たわっていると思うのだ。

さて。
プロデュース公演の場合、チケ代に関しては我々現場の人間に何の決定権もない。芝居の値段に関わらず、来るべき初日に向けてただただ真摯に、かつ謙虚な姿勢で作品作りに没頭するのみだ。
だが、劇場に足を運んでくれた観客の多くに満足してもらえる芝居を作れれば、シンプルにその公演は幸せな興行と言えるだろう。
面白い舞台には客席を飲み込むほどの熱気がある。
その熱気に触れたくて、何度だって劇場に足を運びたいと思う人も大勢いる。
マッチャーだって去年の夏にパルコ劇場でやってた『噂の男』は、感動の余り自腹で三回も観に行ったぐらいだ。
好みの問題もあるので全ての観客に等しく感動を伝えることは難しいが、素晴らしい舞台は、観る側にチケット代なんかすっかり忘れさせる、もっと言えば、世知辛い日常を忘れさせるぐらいのパワーを余裕で持っている。
だからこそ作り手側は、常に出来うる限りの情熱を持って作品づくりに臨まなければならないと思うのだ。

だが悲しいことに、高額なチケ代を取ってるはずの舞台の稽古場でも、作品の精度を高める苦しい作業を袖にして、「自分達が楽しんでやっていればお客も喜ぶさ」的な、非常に稚拙な内輪感覚を優先する現場が確実に存在する(あ、『魔法の万年筆』はとっても誠実な稽古をやってますので御心配なく)

楽しむのはよかろうよ。
眉間にシワを寄せてばかりじゃ、面白いものも面白くなくなっちゃうからね。
だが、楽しむのとヘラヘラするのは違う。
およそ一ヶ月に渡る稽古の中で、キャスト・スタッフ一丸となって試行錯誤を繰り返し、素敵に作品が形作られて行く過程こそが現場の人間の喜び(=楽しい)ではないのか。
それをやらずして、台詞合わせと動きの段取りをヘラヘラつけるだけの稽古しかやらないのでは、どんなに達者な役者を集めてもしょせんは『役者ショー』のような薄っぺらい芝居にしかならないのも当然だ。

いつぞやなんか、東京楽日を間もなく迎える打ち上げの席で、
「はーい、言ってもいいですかー。私、どこどこのシーンのセリフの意味、いまだに分かんないでやってまーす!
「あ、俺も俺もー」

とメインの役者達が大声で笑っているカンパニーがあった。
で、そのそばにいた作・演出家までもが、「おいおい〜」と一緒に笑っているのである。

病んでる…病んでるよ、アンタ達…。
アンタら、何しに稽古場きてたん?
そういう疑問や物語の穴を一つ一つ丁寧に潰して行くのが稽古だろう。
よくもまあ、曖昧なところを残したまま本番の舞台に立てるもんだわ。
普通恐くて立てないし、そんな状態で舞台に立ってること自体、お客を馬鹿にしてるってことだよ。

そんな現場に参加してしまった自分が一番悪いと知りつつも、その輪にいると本当に心が折れそうになるし、そんな安っぽいメンタリティじゃ心ある観客には楽々見抜かれちゃうさ!…と、当時を思い出す度に暴れたくなってくる。
ま、この手の話は書き出すと止まらないし、そもそもテーマとズレまくりなので、頭を冷やす意味でも今日のところはここらでやめときますわ。

続きはまた明日ということで。

じゃ、シーユー。

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