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2010/10/15

全ては財産。

昨日はHIGHLEG JESUS時代の某盟友の送別会的集まりがあり、久しぶりに当時のメンバーや多くのスタッフさん達と出会ったマッチャー。

で、会場の白い壁面に、当時の公演の様子をダイジェストで編集したシロモノがバンバン投影され、みんなでそれをつまみにわいわい飲んだり食べたりしたのだが、マッチャー的にほとんど当時の記憶がなく、とても新鮮な気持ちでおよそ14年ぐらい前の自分達に再会することが出来た。


若いね。実に若い。


まずは腰にシャープなくびれがある自分に驚愕。

あと髪の長さが腰まであった自分ってやっぱ異様だね。

超張り切ってソバージュにしてるし。


そしてなにより衝撃だったのが、この仲間達と繰り出していた表現の“正しさ”。

もうね、一切の迷いがないのよ。

自分達が面白いと思っていることに、見る者なんておかまいなしでただひたすら邁進しているそのデタラメな潔さとストイックさに、ひたすら(いい意味で)呆れ果て、そして心からコイツらスゲーなって感心する他なかったの、テメェでやってきたことながら。

こういうの、いい浪費って言っていいと思うよ。

実に健全な若気の至りって言っていいと思うよ。

もちろん当時の自分達に技術とか経験とか予算とか全くない。

演劇界の常識、ひいては世間一般の良識にまで信じられないほど欠けている。

思い返せば、この頃知り合って結婚までしたかつての奥さんの名言で、

「あの頃のあたし、気が触れてたのよねー」

的なのもありましたが、確かにそんな風に言われても全然仕方ないですわ、当時の自分。


ただね、いろんなものが欠けてる一方で、何かに恐ろしくこだわれる時間と体力だけは今とは比べられないほどあったわけ。

で、その何かとは自分達の場合、HIGHLEG JESUSがHIGHLEG JESUSであり続けるためのアイデンティの追求。

それは客ウケそっちのけの荒削りで傍若無人な表現だったけど、いまだにこんな人達が現れないことを考えると、そこで形成されていったいびつなオリジナリティはちょっぴり誇れるような気がするんだな。

解散までの10年間、我々は実に不純物ナシの表現をやり遂げていたし、それ以外に全く興味がなかったことを痛烈に思い出したわけですよ。

一般的なクオリティとして、当時我々がやっていたほとんどテロに近い凶行は、表現として話にならないかもしれない。

いや、2010年を普通に生きる人達には到底お話にならないと言い切ってもよい。


でもね、クオリティってなんだろうね?

“アティチュードの凄み”だけである意味、十分表現なのにね。

例えデタラメでもあくまで“アティチュード”先行で、それ基準のクオリティは存在しても、世間一般という実態があるんだかないんだか分からない基準のもとになんとなく作られたクオリティを追う表現って、なんだか退屈だし、つまんないよね。

もともとそれらへのアンチテーゼが(今の人達は分かんないけど)多分に小劇場演劇の肝だったわけだし。

加えて、そんな姿に多いに共感してくれる熱が当時の客席にはめちゃめちゃあったのも良く分かりました。


ま、とにかくだ。


当時の自分が今の自分に会ったら「つまんねーな」って言われそうで怖いよ。

せめて、「ま、アリだね」ぐらいは言われるような大人になっていたいよ。

いいことも悪いことも、どんな些細なことまで身の回りに起きること全ては、きっとなんかの意味があるって自分は考える人間なんだけど、このタイミングで若かりし日の自分に会えたってのも絶対意味があるんですよ。

当時のようなことはもう出来ないしやらないし、もはや考えもつかないけど、年を重ねた今の自分なりに正しい表現を貫かなきゃって改めて考えさせられました。


なんだか長々と書いてしまいましたが、ようは頑張りますってことで。


信じる先に未来は開けるって言うと大袈裟だけど、少なくともボヤっと何かに乗っかったり流されたりしがみついたりしてるだけじゃ、自分が自分として生まれてきた甲斐がないってことだけは確かなんで。


お。さらに大袈裟か。

ま、いいや。


よく分かんないけど、みんなも頑張って。


そしてこんなことを考えるきっかけを与えてくれた盟友にも心より感謝。

道は別れども、この先もお互い前を向いて生きていきましょ。


じゃ、シーユー。


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