「いい大人なんだから」
とよく言われる。
本当によく言われる。
飲み屋で快調に下ネタを繰り出していると苦笑いされて、
「いい大人なんだから」
おでこ靴を履いたり短パンを履いたりカラフルな帽子を身につけてヘラヘラしているとやっぱり苦笑いされて、
「いい大人なんだから」
子供相手にムキになると注意のニュアンスで、
「いい大人なんだから」
ブログでアホなこととか書くと読者の方からたしなめられるようにほんのりメールで、
「いい大人なんだから」
仕事場でも、生産性のない現場にプンスカ!していると「心ねーなあ」と思わず言いたくなるぐらいの貼り付いた笑顔で「まあまあ」といさめられ、
「いい大人なんだから」
僭越ながら、瞬間的にいい大人じゃない人種日本代表として言わせて頂きます。
いい大人って、そんなにいいもんスかあ?
もちろん『犯罪だとか人様に多大なご迷惑をおかけするだとかは論外』という大前提はあったとしても、だ。
年取ったらみんながみんな自動的にいい大人にならにゃいかんのですか?
人間なんてどうせいつか死ぬのに年齢とわざわざ比例させてまで、心まで老化させなきゃならんのですか?
これ、別にひねくれて言ってるわけでも被害妄想でも全然なく。
いい大人じゃない人種の言い分としましては、いい大人になることと引き換えに失うことも多いと思うんです、感性的な部分とか情熱的な部分とか。
あっ、やっぱアレですか?
“社会”ってヤツのせいですか?“社会での見栄え”の話ですか?
品よく、器用に、体裁を気にしながら、人生時には妥協も受け入れて…って、そんな縛り、自分で作って楽しいかしら?
ぶっちゃけどうでもいいと思うんですね。
時にいい大人じゃなくても、基本、真っすぐ自分が立っていられればハタからどう見られようと関係ないと思っちゃうんです。
ま、いくらこうしてダメ人間がほざいてみても、全く共感出来ない方がほとんどでしょう。
しょせんブログですから、言葉足らずで「いい大人じゃない人種の幼稚な自己弁護」と誤解を受けることもあるでしょう。
それはそれで仕方がないと思います。
こっちも共感を得ようとかは特に思ってないですし。
でもね、これだけは覚えておいて頂きたい。
いい大人じゃない人間も(みんながみんなとは決して言わないけども)、それ相応の覚悟をしとるわけですよ。
”そっち側”で生きることをしないリスクをそれなりに背負ってるんです。
そしてもう一つ。
いい大人じゃない人種に、「いい大人なんだから」と言ったところで案外何の効果もないのです。
だって、「いい大人なんだから」で使用されてる「いい大人」って、言われてる方にしてみれば全然「いい大人」な風に聞こえないんだもの。
それ、圧倒的に個人差あるわけだから。
そう言ってるアンタは、どんだけいい大人なんだっつうね。
上から目線も大概にせぇよっつうね。
頑張ってる人に「頑張って!」と声をかける無意味さと同じだと思うんです。
それこそいい大人が選ぶボキャブラリーとは違うような気がします。
大体、「いい大人なんだから」の場合、例え無意識に発したとしても、少なからず相手のパーソナリティーを否定しているわけですから、安易にそう言えてしまう大人って、むしろデリカシーに欠けるちょっぴりいけない大人なのではないかと。
その場その場で、もっとその状況に適したスマートな言い方が他にあると思うんです。
例えば、下ネタ連発的な些細ないい大人じゃないぶりには、茶目っ気たっぷりな笑顔で、
「もお、子供じゃないんだから」
ではどうでしょう?
言われた方もなんだか嬉し恥ずかしで、程なく下ネタな会話の流れも下火になっていくと予想されます。
だって、いい大人じゃない人種だって確実に自覚はありますから、自分はもう子供ではないって。
現実的におっさんおばさんだから。
相手のパーソナリティを尊重しつつ、ほのかな大人の自覚を呼び戻してあげることが、いい大人じゃない人種を落ち着かせる一番の効果だと思うんです。
でも、この場合、“茶目っ気たっぷりな笑顔”っていうのがポイントです。
真顔で「子供じゃないんだから」って言われたら、
「だって子供だもん!」
ってどうかと思うぐらいムキになりますから。
非っ常ぉぉぉぉぉに面倒くさいのですよ、この手の生き物は。
そしてマッチャーに関して言えば、マッチャーがいい大人を目指すようないわゆる真っ当な人間だったら、そもそも演劇なんてやってねーっつの。
…とまあ、本日は実にいい大人とはかけ離れたテンションでなんだかんだ乱暴に書き殴りましたが、それでも心ある「いい大人なんだから」なら受け入れる準備は十分ありますよ、実際こっちも大人なんだし。
でも、あんま親身になって言われたことないなあ、「いい大人なんだから」。
じゃ、シーユー。