最近日活ロマンポルノにはまっている。
「このドスケベがっ!」
と一児の子を持つ親の発言としてはかなり不謹慎に思われるかも知れないが、決してスケベが目的ではない。
日活ロマンポルノの作品群の中には、相米慎二や藤田敏八、石井隆に金子修介などの有名監督がまだ若かりし頃手掛けた、才鬼ほとばしる、今見てもかなり斬新な作品も結構あって、日本映画を好む人間としてはある意味、いきつくところはロマンポルノみたいなところが、ま、ちょっと大袈裟ではあるけれどあったりする。
なにせ当時の日活の映画製作は、“性描写をちょくちょく入れれば内容はお任せ”的な今では考えられないゆるぅぅぅい縛りしかなかったらしく、とにかく映画を撮りたくて撮りたくて仕方がない無名の監督達にとって、ピンクといえどもロマンポルノは手っ取り早く自分のカラーを世に打ち出すにはもってこいのフィールドだったのだ。
パンキッシュなストーリーやカット割り、低予算を逆手に取ったユニークな映像表現の数々がむしろスケベより先行してしまい、「これ、単純にスケベ目的で観た客は間違いなく怒っただろうな」と思わせる作品も実に多い。
エロを通じて当時の風俗なんかを知れるのもすっごく面白いしね。
実際、数年前の東京ではロマンポルノブームみたいなものがあって、渋谷の単館で二本立て・三本立てで上映された際は、若い女性の観客も多かったときく。
そんなわけで今やロマンポルノは、そんな客層をも余裕で獲得するマニアックなお洒落ムービーというわけだ。
…とはいえ。
『マル秘色情メス市場』やら『わたしのSEX白書 絶頂度』やら『濡れて打つ
』なんてDVDが、ラピュタやクレヨンしんちゃんの隣に普通に置かれていることは教育上非常に好ましくないわけで、ぶっちゃけその置き場所にはかなりの気を使う。
マッチャーが子供の頃はインターネットなどまるで普及していない時代だったため、エロに触れること自体、まさにひとつのロマンであった。
水たまりに落ちているエロ本を(なぜかそういう印象が強い)神社の境内にこっそり隠し、学校帰りに友達とエロライブラリーに寄っては、背徳という名の甘美な香りとともに、目を皿のようにして読み漁ったりしていた。
時々、ふいにライブラリーから持ち出し不可の貴重な書物達が減っていたり、なんなら忽然と消えたりもしたものだが、そんな事件もちょっとしたミステリーとして仲間内で密かに盛り上がったと記憶している。(←もちろん互いを疑り合いながら)
身も蓋もないほどド下品なエロサイトに誰もが安易にアクセス出来てしまう狂った昨今、どうせなら我が子にはそれらをなんとか回避させ、壮大なロマンとともにエロの第一歩を踏みしめていってもらいたいと切に思う。
極端を申せば、それも父親の務めのような気がするのだ。
思い返せば、うちのオヤジは所有していたエロ本やらエロビデオやらをベッドの足元、もしくは戸棚の奥にしまっていたが、それは決してひっそりというレベルではなく、プレジャーハンティングする側にとってはほぼサービスプレジャーな塩梅だった。
手頃に手に入ってしまうロマンではいけない。
ロマン、薄っ!!!
と当時のエロ飢えマッチャーは嘆きこそしなかったが、つか、それはそれで大変助かったが、どうせならもうちょっと小粋にいきたいものだ。
そんな自分も幼き頃はベッドのマットレスの下、もしくは灯台下暗し作戦と称し、エアコンの上(当時は分厚かったので)にそれらのグッズをバッチリ隠していたつもりだったが、今思えば余裕でおかんにバレバレだった気がする。
常に持ち歩く。
最近そんな明け透けな作戦も考えた。
しかし、万が一大事な仕事場で鞄の中身がだーっとダダ漏れし、『濡れて打つ』が我先に飛び出してきた場合、
「資料です」
とも言い難いし、
「お守りです」
とも言い難いし、
「祖母の形見です」
と言った日にゃあ間違いなく祟られるし、いわんや
無言でニヤニヤ
しては完全に変態扱い&その仕事、パーになるしで、
「あの人、『濡れて打つ』持ち歩いてる…」
という白い目を跳ね返すには、それこそ白目をむきながら「それがなにか?」的なオーラを全身から発するしか打つ手は無い。
…いや、別に白目むくこたないけど。
そんなわけで皆さんはどんな場所に見られちゃ困るものを隠しているのか、ずいぶん長々と書いて参りましたが、今日はそれを尋ねたいがためのブログでした。
じゃ、シーユー。